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エステール・ゴランタン / Esther Gorintin (エカおばあちゃん) ポーランド生まれ。パリ在住。99年、本作の技術監修も務めたエマニュエル・フィンキエルの「故郷への旅」(フランス映画祭横浜上映)のオーディションに受かり、85歳にして映画初出演。この時の演技が評判となり、アルビ映画祭では最優秀女優賞を受賞。以来、数々の出演依頼を受けるようになり、オタール・イオセリアーニ監督の家族ぐるみの親友でもあるマチュー・アマルリックの監督長篇第二作「ウィンブルドンの階段」(01)を始め、マリー・ヴェルミヤールの「Imago」(01)、デルフィーヌ・グレーズのセザール賞新人監督作品賞候補作『めざめ』(02)や、クリステール・フレモンの初監督作「L'ombre
des fleurs」(03)、イディット・セビュラの第二作「Varsovie-Paris」といった短篇と、女性監督の作品に次々出演。90歳目前にして、本作で再び大役を演じて独特の存在感を残した。 グルジア生まれ。トビリシ在住。15歳で舞台出演を始め、以来グルジアはもとより、ロシアでも活動を始める。トビリシ演劇院で本格的に演技を学び、その後マルジャニシュヴィリ劇団に入団。以来、同劇団の看板女優として20年もの間に近松門左衛門作《心中天の網島》、ハウプトマン作《日の出前》、レゾ・チュヘイゼ作《世代》など40もの作品に出演。TVドラマなどにも出演するほか、映画は舞台の合間を縫って、チュヘイゼの監督作や、ネリ・ネノヴァの「Metichara」(88)といった作品に顔を見せている。
1976年1月3日サンクト・ペテルブルク生まれ。14の時、アヤン・シャハマリェヴァ監督の「Eto bylo u morya(それは海辺で起こった)」で映画デビュー。続いてヴィータリー・カネフスキーの『動くな、死ね、蘇れ!』(89)のヒロイン、ガリア役を得て、これが90年カンヌ映画祭のカメラ・ドールを受賞したことにより、その存在を世界に知らしめる。以来、カネフスキーの『ひとりで生きる』(92)と『ぼくら、20世紀の子供たち』(94)、仏露合作によるエヴゲーニー・ルンギンの「Des
anges au paradis」などに出演。 テムール・カランダーゼ / Temur Kalandadze
(テンギズ)
監督 : ジュリー・ベルトゥチェリ / Julie Bertuccelli 脚本 : ジュリー・ベルトゥチェリ / Julie Bertuccelli 脚色 : ロジェ・ボーボ / Roger Bohbot 撮影 : クリストフ・ポロック / Christophe Pollock 美術 : エマニュエル・ド・ショヴィニ / Emmanuel de Chauvigny 衣装 : ナタリー・ラウル / Nathalie Raoul 編集 : エマニュエル・カストロ / Emmanuelle Castro 技術監修 : エマニュエル・フィンキエル / Emmanuel Finkiel 製作総指揮 : ヤエル・フォジエル / Yael Fogiel
アントワーヌ・デュアメル 「リベルテ・ド・ラ・ニュイ」 「ヴァルス・ノスタルジック」 ロザモンド四重奏団、エリザベット・サリエ・デュアメル(ピアノ)、レオナルド・ガスパリーニ(指揮) アルヴォ・ペルト 「シュピーゲル・イム・シュピーゲル」 ウラディーミル・スピヴァコフ(ヴァイオリン)、セルゲイ・ベズロドニー(ピアノ) アルヴォ・ペルト 「アリーナ」 アレクサンダー・マルター(ピアノ) ダト・エヴゲニゼ 「ポワソン(魚)」 ダト・エヴゲニゼ(ピアノ、編曲)、エチェリ・タタリアゼ(歌) グループ33 「ノアの箱船/ボート」
第56回 カンヌ映画祭 国際批評家週間大賞 黄金のリール大賞受賞
1968年フランス生まれ。父ジャン=ルイは70年ジャン・ヴィゴ賞も受賞した監督。大学で哲学を専攻。その後、ジュリエッタ・マシーナの遺作となった父の監督作『木漏れ日』(91)に助監督見習い及び編集見習いとして参加。以来、ルネ・フェレの「Promenades d'師氏v(92)、クシシュトフ・キェシロフスキの『トリコロール/青の愛』(93)と『トリコロール/白の愛』(94)、ベルトラン・タヴェルニエの『ひとりぼっちの狩人たち』(94)といった作品に助監督として就く。その一方で、アトリエ・ヴァラン社で「Un m師ier comme les autres」「Une liberte」といった短篇ドキュメンタリーの監督を始める。 この後、オタール・イオセリアーニが久しぶりに母国グルジアで撮影した傑作『群盗 第七章』の助監督となってグルジア・ロケにも参加。以来、グルジアに魅せられると共に、記録映画の演出も再開。2001年には、ベルナール・レヌッチとグルジアを舞台に描いた本作の脚本を完成させ、2001年エメルジャンス賞に提出し、最優秀脚本家大賞を受賞し、映画化が実現。2003年に完成させて、カンヌ映画祭の国際批評家週間で初上映されるや、絶賛され、同部門の大賞を受賞。以来、世界各地の映画祭から上映オファーが殺到し、次々と映画賞を獲得。翌年もセザール賞3部門の候補となり第一回監督作品賞を受賞。また、世界中で配給が決まり、好成績を記録し、2004年春にNY、LA公開で公開して絶賛され、館数を週毎に増やしてロングラン上映を続けている。今後が活躍が期待されるフランス映画界の担い手の出現である。 [受賞・ノミネート歴] [監督作] [映画祭出品]
※一部ストーリーが表示されている部分がございますので、映画を観たあとでご覧下さい。 多分。ドキュメンタリーで私が好きなのは、人物が、わざわざそうしてくださいとお願いしなくても自分の場面を生み出してくれるという点です。人物を選択し、どれが正しいやり方か、どのような距離感が正しいのか決定すれば、あとはただ眺めて、彼らを追っていればいい。できるだけきちんと彼らを見せ、自分自身の目を信じる。私はこうした自由を保ったまま仕事を続けたかったのだと思います。ただ、それをドラマティックな状況に応用しただけです。加えて、ドキュメンタリー作品では、決して人物のプライベートには介入しませんでした。ただその人物を、しばしば仕事中の彼らを撮っただけで、もしその仕事がうまく行けば、顔や話し方や話止めた時の沈黙の中にくつろいだ表情が現れる。私のフィクションへの興味は、自分の限界を広げ、人物を撮影するまた別のやり方を見出したいという欲求から生じたものなのです。 Q : ドラマとドキュメンタリーの主な違いは、ドラマには役者がいるという点ですね。 その通り。でも出発時点で、意図としてはあまり変わりはなかったんです。俳優を撮影するにしても、ドキュメンタリーで人物を撮るときと同じ興味で撮っていました。ただ、彼らを操っているのではないか、馴れ馴れしくしすぎてやってはいけないことをしているのではないか、という不安は少なくて済んだという点を除いては。実際、『Since Otar left』で、役者が役者として演技をしているのを感じると、感情が消えうせてしまった。書かれた台詞を撮影するのが楽しかったのは確かですが、疑問を感じていたことも事実です。台詞が嘘臭く聞こえないか不安でした。 Q : あなたの初の長編はどのように生まれたのですか。 『Since Otar left』は私が聞いた実話に基づいています。事実ではあるのですが、あまりに本当らしくないので、自分なりのやり方でやってみたいという気になったのです。いずれにせよ、これはドキュメンタリーとして語られるべき物語ではなかった。あまりにも内的な心理に関わるものだったので。それで新たな形のストーリー・テリングに乗り出さなければならなかったのです...。そしてもちろん私たちはすべての設定を変え、物語や、結末、人物を作り直さなくてはなりませんでした。 Q : 企画はどのように進んだのですか。 私はヤエル・フォギエルにアイディアを話し、台本を書く費用を見つけました。ドキュメンタリーで何度か仕事をしたことのある台本作家のベルナール・ルヌッシが、プロデューサーと私自身との緊密な連携の下、最初の三、四稿を書きました。それからフランス政府の助成金を得た時点で私が単独で台本を書き直し、さらにロジャー・ボーボと協力して、ストーリーを私に一層合うように脚色し、再構成しました。 Q : なぜグルジアなのですか。 私はオタール・イオセリアーニの映画]『群盗第七章』]の仕事で半年間グルジアで過ごし、この国が大好きになりました。既にイオセリアーニの映画で大好きになっていたのですが。コーカサスとロシアとヨーロッパと中東の影響を受けた、ヨーロッパとアジアが交差する地点に位置する、非常に魅力的な国です。トビリシに行ってみれば分かります。素晴らしい街です。荒廃した状況にはありますが。ロシアより荒んでおらず、人々が温かいので、とても居心地よく感じました。私自身が地中海の出身だからかもしれません。グルジアの歴史は実に混沌としていて、あらゆる種類の問題を抱えてはいますが、自分たちの得てきた最良の物を残そうとしているのです。私はグルジアを好きにはなりましたが、特にここで映画を撮ろうと思ったわけではなかった。でもこの話が持ち上がってきた時に、ここで作るべきだということは分かっていました。まずこのプロットを口実に、この魅惑的な国を見せることができる。それに私はフランスについて、フランスの内側からでなく、どこか他所から見たフランスについて語りたかった。私は自分の国のものとは異なる想像力とかかわりを持ち、そこで生じる違いを示したかったのです。自国から遥か離れた場所で映画を撮り、その距離を利用して、他人の眼で自分自身について語りたかったのです。 Q : アダの家族はどうしてこんなにフランスが好きなのでしょう。 グルジアはフランスと長い付き合いのある国です。あまり知られてはいませんが。多くのフランス人がグルジアに旅行し、そこに定住しています。交易も途切れなく続いているのです。グルジア人はフランス文化に惹き付けられています。ロシアの影響下にある多くの人がそうなのです。それでも、この映画はフランスマニアについての映画ではありません。私に興味があるのは、フランスについて語ることであるよりは、想像の中でしか知らない、だから失望することも十分ありうる異国をどうして好きになれるのか、ということなんです。 Q : この映画の核心は女性の三世代を描くことにありますね。 そう、そもそものアイディアは、時に良く、時に悪く変わりつつある世界に閉じ込められた三人の女性の三様の関係を描くことでした。私はエカ、マリナ、アダが同じくらい重要であるよう配慮しました。どのパートが他のパートを食ってしまうことがないように。言ってみれば彼女たちは、同じ一つのキャラクターの三つの側面、人生の三つの異なる段階にある同一女性なのです。そしてこの家族はもちろん男を欠いた家族です。男性は排除され、取り除けられている。グルジアでは、男性が稼げなければ、女性がその任を負います。いなくなってしまった男はオタールだけではない。アダの父親もアフガニスタンで亡くなったとされています。多分ロシア人ですが、はっきりとは分かりません。私自身かなり女系の家族出身なので、私自身の大部分をこの映画に投影し、母娘のテーマを導入することが出来たのです。母娘関係の持つ強さのおかげで、いい意味でも、恐らくは破壊的な意味でも、今の自分があるのです。 Q : 物語は、ケーキを巡る会話のない場面から始まります。一言も発せられないのに、直ぐにこの三人の女性の関係が分かります。 オープニングの場面は台本にはありませんでした。完全に即興です。三人がある日曜に外出し、何も言わずに一緒にいるところをただ見てみる必要があった。彼女らはちょっと外出するけれど、退屈していて、することも、お互いに話すこともない...。これはグルジアでの撮影の最終日でした。この場面を監督する必要はほとんどなく、役者たちは自分のパートをよく理解していました。 Q : キャスティングはどのように? 最初は三人のグルジアの女性を見つけるつもりでした。最終的には、母親のマリナ役を演じたニノ・コマッスリージェだけがグルジア人です。グルジアには演劇の大きな伝統があるのです。ニノは印象的な女性で、非常に官能的で、美しい。信じられないことに、後で分かったのですが、彼女自身、映画と同じような、悲劇的な経験をしていたのです。キャスティング・ディレクターのステファヌ・バトゥは、理想のアダを求めて、フランスとグルジアを捜しました。間もなくプロフェッショナルでない俳優を捜しつくしました。何十人ものフランス語を話すグルジアの女の子に会いましたが、完璧な人物に出会わなかった。探索の網をロシアにまで広げました、というのもグルジアではロシア語も話されていたからですが、そのうち今はパリに在住のディナーラ・ドルカーロワに紹介されました。カネフスキーの『動くな、死ね、蘇れ!』の彼女をご記憶でしょう、あれは私の大好きな映画の一つです。それだけに彼女と会ってとても感激しました。彼女はロシア人なのですが、モンゴル系なのです。もともと台本では、アダは女性らしさに問題があり、実際25歳のティーンエイジャーである彼女は、とげとげしく、太りすぎで、自分に違和感を感じているのですが、ディナーラはとても魅力があるので、ストーリーを彼女のスリムな体に合わせなくてはなりませんでした。結局、彼女の不満は、彼女が普通と違って見えること、頑固で、過度に緊張しているように見えることで伝わるようになります。 Q : 祖母のエカについてはどうですか。 エマニュエル・フィンギエルの「旅路」のエステール・ゴランタンが大好きだったのです。でも、彼女をキャスティングすると、あの映画の彼女と結び付けてしまうのでは、と不安がありました。それにあの役には本物のフランス好きのグルジア人で、他のどの映画にも出ていない人を見つけたいと思っていたので。でも結局、あちこち捜して見て、信じられない人にも出会いましたが、どう見てもエステールが適任に見えたのです。彼女は素晴らしい女優です。90歳にもなるのです。彼女にとって二ヶ月もグルジアに行って撮影するのは容易なことではありませんでした。しかし彼女はすごいんです。集中力といったら素晴らしく、筋金入りのプロで、疲れ知らず。彼女はあの国が気に入って、あの国の食べ物を食べ過ぎて5キロも太ってしまいました。 Q : リハーサルはしましたか? 読み合わせを二、三回程度、あまり多くはしていません。言語の問題がありましたから。フランス語、ロシア語、グルジア語...。エステールはロシア語とフランス語を話しますが、ディナーラは話せないグルジア語を学ぶ必要があった。マリナはロシア語を話すのに熱心ではない、というのも、ロシア語が抑圧の言語だったからです。リハーサルの主な利点は、誰が、いつ何語を話すのか決めることにありました。また、私にとっては、女優たちを観察することができたので有益でした。私は心理を説明したり、過度に演技指導するのは避けたかった。私には、彼女たちを観察し、登場人物にふさわしい、彼女たち自身の仕草を見つけることが必要でした。誰にでも、仕事を始める前に、机をきれいにしたり、部屋を片付けたりする自分なりのやり方があります。私に必要なのは、本物の人間や場所を観察すること、その場所や、アクセサリーや、細部を感じ取ること、そうした製作前段階の具体的な仕事全体だったのです。 Q : あなたの映画は嘘をつくことに関する映画なのでしょうか? イエスでもあり、ノーでもあります。もちろん、あらゆるレベルに嘘があり、それらの嘘が更なる嘘を生んでいきます。コンセプトとしては、嘘は魅惑的なものだということで、映画の基点としては素晴らしい。というのも、嘘は、破壊的であると同時に、創造的な、二重の力だからです。この物語の中では、嘘は実際に触媒であり、それ以前の家族をあぶり出し、いかにそれぞれの女性が嘘を生きてゆくか、とりわけ、この嘘に合うように自分の人生を変えてゆくかを描き出します。私自身が大変な嘘つきなのです。少なくとも私は、嘘の持つ豊かな可能性、現実と戯れることの中にあるあいまいさを楽しんでいます。だから私は、嘘に対して道徳的な非難を向けるつもりはありません。私はそれを事実として見せたかった。嘘は原則の問題ではない。嘘はありあまる心情からあふれ出すもので、これを裁判のように扱いたくはなかった。嘘は、軽い神経症のようなもの、いささか気違いじみたところのある一つの方法であって、そのおかげで人は、自分だけの生活を生み出すことができ、自分の人生を耐えられるものにでき、そして恐らくは、人を操り、また人に操られるがままになっていられるのです。『Since Otar left』では、誰もが中心にある嘘から何か得るものがあるのです。 Q : 現実への関心が、ドラマチックな物語を書く妨げにはなっていませんね。 それが脚本執筆、編集での問題でした。時が過ぎ、嘘が受け入れられるにつれ、驚愕とサスペンスのありきたりの物語に落ち込む危険がありました。私たちには、すべてを喜劇に変えていただろう二重の意味を含む400億の場面などいらなかった。始まりはまずく、思ったようには決して進まず、つかえつかえしてはいるものの、それでも必ず何とかうまく行く、そう言う具合に物語が進んでくれればいいと思っていました。そして編集室で、編集者のエマニュエル・カストロと一緒に、さらに一層話を混乱させたのです。 Q : それでも私たちは嘘と嘘の結末に関するこの物語にわしづかみにされ、どう終わることになるのか知りたくなります。 できるだけこの女性たちに密着していなければならないし、つかず離れず主筋つまり、「嘘が根付いてしまった今、彼女たちはこの嘘をどうしてゆくのだろう」という疑問、を追うことが重要だとは分かっていました。例えば母親のマリナはすべてを重荷、義務のように感じているけれど、その嘘がやがて彼女に安らぎのようなものをもたらす。彼女と母親の間に新しい優しさが生まれてきて、彼女たちの関係はもっと穏やかなものになるのです。そしてアダに関して私たちの興味は、この嘘によって、彼女がいかに人間として花開くか、自分自身になることができるか、この事態をどう享受し、兄に成り代わって生きるか、自分勝手になれるか、というものです。実際に嘘を本当らしくし、手紙を書き、物事に変化をもたらすのはアダなのですから。そして最後に彼女が家族を離れるとしても、それは彼女がしたことがもたらした結果ではなく、彼女が自分で選んだ結末なのです。こういうことが私を一番感動させるのです。つまり、いかに人間が、束縛のもと、ほんのわずかなものから自分の生活を生み出してゆくのか、ということ。 Q : それはおばあさんにも当てはまることですか? そうです。結局祖母がこの三人のキャラクターの中で一番エネルギッシュなのですが、それも、まさに彼女が人生を生み出してゆく力を持っているからなのです。彼女の姿勢は、どんなものであれ、常に確かなものなどないのだから、いつでも方向転換はできるし、固定した計画などいらない、というものです。美しいのは、各自の生活がいかに変化するか、なのです。私は人を決まりきった枠の中で見るのが大嫌いなんです。私はこれまで、墓堀人夫について、監獄を出た一人の男について、政府の法律学校について、デパートについて、合併の際の企業のボスについて、映画を撮ってきましたが、どの場合であれ、私が出会った人を見ると、偏見は誤りだと思い知ったものです。 Q : あなたの映画の中で母親の世代は失われた世代として描かれています。 マリナの世代は恐らくソ連の終末を切り抜けるのが最も下手だった世代です。マリナは変化にこっぴどく打ちのめされてきた。彼女は過去の産物なのに、激動の頂点にある現在の中にいる。彼女は歴史のギャップのために二つに切り裂かれているのです。彼女は自分の娘が出てゆくのを夢見ていると知らされ、自分が捨てられた事実を受け入れる。 Q : 拳銃を頭に突きつけたマリナの写真で、私たちは彼女の過去、彼女の内に秘めた力強さを知ります。 あれはニノ・コマッスリージェの本当の写真です。俳優自身の写真を見つけるのに自宅に行ったのですが、そこでこれを見つけて惹きつけられました。ニノは非常に複雑な人格の持ち主なのですが、この写真がそれを象徴しています。この女性は常に引き裂かれていること、しかしそれに対処できる強さを持っていることも、この写真を見ると分かります。エンジニアとして訓練を受けたマリナが、蚤の市でガラクタを売って暮らしているのとちょうど同じなんです。彼女はブレークダウンすることが出来ない。これが力強いキャラクターの弱点なんです。 Q : そしてエカは、少女のようで、これも複雑な人物です。 エカは教養ある家族の出身なのですが、都合のいいときに、スターリンが好きだと言う。彼女は身なりに気を遣い、一人になればタバコを掠め取る機会を逃しはしない。性格というものは年をとったからといって変わることはありません。ただ身の回りに物が積み重なり、矛盾を抱え込んでゆくだけに、一層興味深くなってゆくだけなんです。私はグルジアでそんな人にたくさん会いました。フランス語を読むことが好きで、フランス文学を愛し、本当にスターリンが好きなわけではなくとも、昔は良かった、と言うのです。そう言う矛盾が私には面白い。私には単純なキャラクターはいりません。 Q : 映画に生気を与えているのは、転換の必要性と、繰り返しの必然性という二つのテーマの交替です。 それがまさに脚本のテーマでした。家族に関しては、自分独自のやり方を見つけなくてはいけないという考えがある一方、過ちや欠陥が伝えられるように、何かが一つの世代から次の世代へと受け継がれてゆくという考え方が必ず出てきます。我々が皆他人の例によって束縛されているという考え方は非常に映画的なものです。撮影していると、無意識が現れてしまいますから。神秘的で、ぼんやりしたこと、秘密といってもいいもの、それが表面に浮かび上がり、一旦剥き出しになると、当たり前のように見えてしまいます。祖母と孫の関係は、両親との難しい関係を迂回するための一つの方法、母と娘の間の終わりなき戦いに封じ込められてしまうことを避けるための一つの方法なのだと思います。人は自分の子供に出て行ってもらいたい、と同時に出て行ってもらいたくないとも思っているものです。エンド・クレジットの曲は、グルジア語で、「蝶は飛んでゆく、蝶は飛んでゆかない...」と歌っています。 Q : この中にあって、オタールの例はどういう役割を演じているのでしょう。 これはあまりに縁遠い例なので、彼女たちのうちの誰も、その例に倣うことが出来ないんです。実際彼女たちは彼の例に倣おうとはしない。思うに、最終的に彼の例に最も忠実なのは祖母で、というのも、彼女は失うものが最も少なく、見かけにもかかわらず彼女が一番寛容だからなのです。多分彼女は何が起こったのか知っていた、或いは想像はしていた。だから彼女はただ、孫を勇気付けて、夢の遥かな土地へと行かせてやりたかっただけなのです。彼女は、孫が、自分ひとりでは出来なかったことをやり遂げる手助けをしたかったのだと思います。 Q : これらの女性たちの関係は非常に身体的なものですね。彼女らは抱擁し、お互いの足をマッサージし、お互いの髪を洗う。 それが私なりの家族関係の見方なのです。映画のフォルムとしては、こうしたショットは家族の関係を捉えるという役割から、人の肉体を撮る嗜好に変わってゆきます。人間の肉体は表現豊かなものであり、しかも説明的ではない。マッサージされる足はその人の性格を表し、その人と他人との関係を明らかにするのです。映画の中の女性たちはお互いに愛と優しさを与え合います。多分それでも十分ではなく、また恐らく正しい性質のものでもないのですが...。 マリナが母親の愛を未だ求め続けているというのもまた正しい。彼女は本当の意味で成長することができず、理想の母親にはなれなかった。だからアダが母親を演じているのです。それもあって彼女は息が詰まる思いをしているんです。 Q : これら三人の女性はアパートを共有しています。しかしここでも私たちが見るのは息のつける空間の欠如と言うより、いやおう無しに進んでゆく人生です。 もともとの脚本では、物語は、既にばらばらになってしまっている近代的な地区の住宅団地タイプのアパートに設定されていました。そうした場所は実在し、非常に印象深いものでした。まったくのアナーキー状態でしたから。バルコニーに通じるドアがあるのに、バルコニーがないのです。マリナのボーイフレンド、テンギスのアパートのように。しかしこういう場所に決めていたら、映画は社会的リアリズムになってしまっていたでしょう。私はそんな社会的コメントがそれ以外の要素に勝ってしまうのは避けたかった。全体が美しく見えすぎてしまう恐れはあったものの、私の気持ちはオールド・ファッションのアパートに傾いていきました。私たちがロケ地に使ったアパートは素敵なアパートですが、実際裕福な人のものではありません。豊かに見えるのはそこに住む人たちが工夫を凝らしているからなんです。 Q : 中庭やエカが手入れする菜園などでも生活が営まれています。 グルジアの中庭には驚きます。中庭の使い方を見ると、コミュニティとはこういうものなんだと感じます。キッチンが中庭の上方に突き出したバルコニーにあったりして。 家族は未だに閉ざされた単位で、祖父母、両親、そして子供たちが皆一緒に暮らしています。今日でも25歳の人間が祖母たちと生活している。私たちにしてみれば驚くべきことですよね、おばあさんと一緒に暮らすなんて。人間関係において、私たちの国ではなくなってしまった何かがここにはあります。でももちろんそれは神経症の原因でもある。グルジア人にはほかに選択の仕様がなく、家族と一緒に暮らすことで、不和という社会的な重荷が増えることになる。だからこそアダは息が詰まるのだし、出て行きたい気にもなるのです。彼女は新しい、違う世界を発見したいと思っている。グルジアではすべての世代が家族の中に閉じ込められている。だからこそ人生への、新しいことへの真の欲求が生じてくるのです。人々は仕事がないから移民するわけですが、それ以外の理由もある。愛を求めて、夢を実現するために、新しい人と出会うために、好奇心から、家族神経症から逃れるために...。理由は山のようにあり、移民というテーマを扱う際に陥りがちな、社会的リアリスムに基づくカリカチュアは避けたかったのです。 Q : 映画の二番目のシーンは郵便局での長いシーンです。あれは開始早々手紙を重要な要素として導入するための方法だったのでしょうか。 このシーンには執着があります。私が思いついたファースト・シーンで、最初に撮ったシーンだからです。ドキュメンタリー的な映像で、大好きです。手紙を提示する私なりのやり方が現れていて、同時に、あの普通じゃない国のとんでもない荒廃ぶりも示されているのです。あの国では、あらゆる問題を抱え込んではいるけれど、それでも人々は陽気であり、生き延びてゆくし、楽しみを見つけ出すのです。ドキュメンタリーの映画作家として、私は、一人で何とか生き延びて行くために、手に入るものを最大限に利用する人々を見せるのが好きなんです。 Q : 撮影のおかげで、人生どうにかなってゆくもんだ、という感じが生まれてきますね。 闇とか夜とか、蝋燭の光にはどことなく人を魅せるものがあります。撮影現場はとても美しかったのですが、撮影監督のクリストフ・ポロックはごく早いうちから現地に入って準備を進めました。私たちは撮影される場所が、それ自身息づいているようにしたかった。私たちはできるだけあの国の雰囲気を吸収しようとしました。優しさも、込み入ったところも含めて全部。私は映画に現れた撮影現場にこだわりがあります。私は自分の好みの場所を見つけたわけですが、ピクチャレスクだったり、きれいな場所のカタログのように見られてはならなかった。この物語が普遍的な響きを持つことが望ましかったのです。たまたまグルジアで起こったとしても、どこかよそでも十分に起こりえた物語なんです。 Q : あの願いの木は?あれは実際にあるのですか? ええ、あります。台本の草稿段階にはなかったものですが、脚本家と一緒に最初にロケハンに行った時にたまたま見つけたんです。いたるところ、しばしば教会の近くにあんな木があるんです。古い異教徒の習慣で、私は感動的だと思いました。現実が生き生きと息づいている感じがします。願いの木の背後にあるものを例え信じていなくても、木の枝にリボンを結びつけるという身振りそれ自体が古くから伝わるならわしなんです。この身振りには何か心動かされます。こんなにリボンがたくさん。このリボンは何か普遍的なもの、人々の欲望や悲しみや希望が、人間すべてに共通するんだと、教えてくれているのです。
>> 「 やさしい嘘」エステール・ゴランタン来日記者会見 ゲスト : えなりかずき
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