■監督 ロバート・ベントン (アカデミー賞受賞監督 「クレイマー・クレイマー」)
■出演 ニコール・キッドマン (アカデミー賞受賞女優 「めぐりあう時間たち」)
アンソニー・ホプキンス (アカデミー賞受賞男優 「ハンニバル」)
■原作 フィリップ・ロス (ピュリッツアー賞受賞作家 「ヒューマン・ステイン」)
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ニコール・キッドマン(フォーニア・ファーリー)
Nicole Kidman-Faunia Farley
義父の性的虐待、夫の暴力、火事による子供の死。悲劇に埋め尽くされた薄幸な人生のなかで、誰にも頼らず、根も持たない生き方を身につけたフォーニア。虚勢の陰に魂の傷の深さをうかがわせるこのキャラクターに、独特の強さと脆さ、そして官能的な魅力を与えたのが、ニコール・キッドマン。「彼女は完璧だった」と、原作者のフィリップ・ロスをうならせた渾身の熱演を見せる本作は、アカデミー賞受賞作の『めぐりあう時間たち』と並ぶ彼女の生涯の代表作となるだろう。
1967年6月20日、米ハワイ州生まれ。オーストラリアで過ごした少女時代から女優を志し、14歳で映画デビュー。『デッド・カーム 戦慄の航海』(88)で注目を集め、『デイズ・オブ・サンダー』(90)でハリウッド・デビューを飾り、ロバート・ベントン監督の『ビリー・バスゲイト』(91)でゴールデン・グローブ賞にノミネート。『誘う女』(95)でも同賞にノミネートされたほか、2002年には『アザーズ』(01)と『ムーラン・ルージュ』(01)の2作で候補になり、『ムーラン・ルージュ』で主演女優賞を受賞。
この作品ではアカデミー賞にもノミネートされ、翌年の『めぐりあう時間たち』(02)でオスカー女優の仲間入りを果たした。他の代表作は、『遥かなる大地へ』(92)『ある貴婦人の肖像』(96)『ピースメーカー』(97)『アイズ
ワイド シャット』(99)など。2003年は、本作に加え、ラース・フォン・トリアー監督の『ドッグヴィル』、アンソニー・ミンゲラ監督の『コールドマウンテン』が公開され、ジェーン・カンピオン監督がメグ・ライアンの新境地を開いた『イン・ザ・カット』では初めてのプロデュース業に進出している。
2004年もジョナサン・グレイザー監督の『Birth』、フランク・オズ監督の『The
Stepford Wives』、シドニー・ポラック監督の『The Interpreter』が待機しているほか、2005年はノーラ・エフロン監督がリメイクする『奥様は魔女』、トニー・スコット監督の『Emma’s
War』、バズ・ラーマンが監督しレオナルド・ディカプリオが共演することが決定しているアレキサンダー大王プロジェクトなど話題作が目白押し。押しも押されぬ大女優の道を邁進している。
2004年はシャネルの名香No.5の新しいイメージ・キャラクターに抜擢されたことでも話題を呼んでいる。
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白い肌に、秘密を隠して生きてきた男。
白い心に、無数の癒えない傷を抱えた女。
偶然の出会いが、二人を過去の籠から解き放つ―。
1998年、アメリカ・マサチューセッツ州。同地の名門アテナ大学の学部長をつとめるコールマン・シルク(アンソニー・ホプキンス)は、ユダヤ人として初めて、古典教授の地位にのぼりつめた権威ある学者であった。が、勇退を目前に、彼の栄光に包まれた人生が一瞬にして崩壊する。
講義中に発した「スプーク」のひとこと。これが黒人学生に対する差別発言だと非難されたコールマンは、教授会で弾劾され、辞職に追い込まれてしまったのだ。しかもその知らせにショックを受けた妻は、心労からあっけなくこの世を去ってしまった。
半年後──。いまだに怒りのおさまらないコールマンは、湖畔で隠遁生活を送る作家のネイサン・ザッカーマン(ゲイリー・シニーズ)を訪ね、職と妻を失った経緯を本にしてくれと依頼する。コールマンの勢いに圧倒されながらも、「自分で書いたらどうです?」と応じるネイサン。しかし、2人の間には不思議な友情が芽生えていく。自らも失意の人生を送っていたネイサンは、コールマンとの交友を通じて「書けない」隠遁生活から抜け出し、励ましを受けたコールマンも、怒りを執筆により発散させることで徐々に生活のペースを取り戻していく。
コールマンがネイサンに「恋人がいる」と打ち明けたのは、2人が出会ってから1年が経過した頃のことだった。恋人の名は、フォーニア・ファーリー(ニコール・キッドマン)。義父の虐待、ベトナム帰還兵の夫レスター(エド・ハリス)の暴力、そして子供の死という悲惨な過去を背負った彼女は、復讐に燃えるレスターから逃げ隠れしながら、清掃の仕事をして生計を立てているまだ若い女性であった。住む世界が違いすぎる彼女との交際を、「危険だ」と忠告するネイサン。しかし、もはやフォーニアなしでは生きられなくなっていたコールマンは、強い口調でネイサンに反論する。「これは私の初恋でもないし、最高の恋でもない。でも、最後の恋なんだ」と──。
コールマンにとって恋は、つねに苦い思いを伴うものだった。彼が最初にそれを経験したのは、復員兵の奨学金を受けながらニューヨーク大学に通っていた1948年のこと。若きコールマン(ウェントワース・ミラー)は、図書館で出会ったスティーナ・ポールソン(ジャシンダ・バレット)と恋に落ち、「一生あなたのそばにいたい」と言う彼女と結婚を誓いあった。しかし、その幸せな日々は、コールマンの実家を訪ねたスティーナが、彼の秘密を知ってしまった瞬間に終わりを告げる。以来50年間、コールマンは、自身の出生にまつわる秘密を隠し続けてきた。長年連れ添った亡き妻にさえも。
一方のフォーニアも、心の最も奥深い場所に傷となって残っている出来事を、誰にも打ち明けずに生きていた。彼女が、自分に課した掟を破ってコールマンの家に泊まった日の翌朝。自己嫌悪にかられて外へ飛び出したフォーニアは、プリンスと名付けたカラスに会いに行く。物言わぬプリンスを前に、彼女は告白する。「最初に自殺未遂をしたのは、火事で子供を失ってから1ヵ月経った時のことだったわ。母親に20年ぶりに電話をしたら、私のことを『知らない人だ』と言ったの」。プリンスに心の痛みを吐き出した彼女は、この時初めて、魂の傷に苛まれているのが自分ひとりでないことに気がつく。
コールマンの家に戻ったフォーニアは、「ごめんなさい」のひとことに託して、コールマンの苦悩を思いやることのなかった自分自身の身勝手さを詫びた。「君がいて幸せだ」と微笑むコールマンに、「私も」と答えるフォーニア。その瞬間、最後の恋人であるだけでなく、最初で最後の理解者を得たコールマンは、50年におよぶ偽りの人生に終止符を打つべく、フォーニアに告白するのだ、自分はユダヤ人ではなく黒人である、と──。
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アメリカで社会現象となったベストセラーの映画化
ベストセラーとなったコールマン・シルクの物語はすぐにメディアの注目を集めたが、なかでもレイクショア・エンターテインメントの創立者であり、現会長でもあるトム・ローゼンバーグが映画化に熱意を示した。「小説を題材にした映画は今までも作ってきたが、これほど作るとはっきり決めていた映画はなかった。この小説がずっと頭から離れなかった」とローゼンバーグは振り返る。「コールマン・シルクの最も強烈な特徴は、社会的な制約に屈することなく、独力で決定しようとする鋼のような意志の力だ。これは、妥協することのない個人主義が文化的偏見と真正面から衝突していくさまを描いた古典的なアメリカの物語なんだ」。
ロスの小説群の複雑すぎるテーマやキャラクターの造型 は、長年映画製作者たちにとって手ごわすぎる対象とされ、幾度も断念されてきた。しかし、オスカー受賞監督であり、自身作家でもあるロバート・ベントンの文学的感性と熱意が、40年も映画化されていないロスの小説を映画化する鍵となった。ベントンは近代アメリカのギリシア悲劇として作品にアプローチしている。「コールマン・シルクがアテナ大学の古典学の教授だというのは偶然じゃないんだよ」。
なお、2005年にはロスのピュリッツアー賞受賞作『American Pastoral』の映画化がフィリップ・ノイス監督で予定されている。トム・ローゼンバーグのロス熱はいまだ冷めやらぬようである。
完璧なキャストの邂逅
素晴らしい小説に素晴らしい脚本、素晴らしい監督を得たプロジェクトのキャスティングはスムーズに進んだ。ローゼンバーグとベントンには、最初からアンソニー・ホプキンスとニコール・キッドマンの共演しか頭になかったが、2人とも30分の会見で出演を快諾し、脚本に対して一箇所も注文をつけなかったという。
アンソニー・ホプキンスは、アイデンティティの境界を超越したいというコールマン・シルクの欲望に共感を覚えた。「私は自分がどこかの国に属していると思ったことがない」、とウェールズ人であるアンソニーは語る。「それは私が国籍など全く重要でないと思っているからだ。それに対し、コールマンは敵対感情や人種差別、偏見から逃げ出したいと思っている人間だ。でも、『私は一人の人間だ、普通の人間なんだ、だから自分のしたいことをする』という彼の叫びには深く共鳴する」。
ニコール・キッドマンは、フォーニア役を演ずるにあたり、虐待された女性達のためのシェルターでしばらく過ごした。「フォーニアはとても暗い性格だけれど、私は彼女に尊厳を持たせたかったの。私がシェルターで話した女性達は虐待される女性のほうが愚かだという考えを払拭し、自分は本当はとても強い人間なのだと前向きに考えようとしていたわ」。
また、ベトナム後の心的外傷後ストレス障害(PTSD)に苦しむフォーニアの元夫レスター役にはエド・ハリスが、語るべき言葉を失い立ち往生した作家ネイサン・ザッカーマン役にゲイリー・シニーズが即決し、主役級の俳優が脇を固める贅沢なキャスティングが実現した。
そして、若き日のコールマン・シルク役を射止めたウェントワース・ミラーは、自身にも四分の一だけ黒人の血が流れているというバッググラウンドもあいまって、物語に深くコミットした好演をみせている。「彼らの環境は苦痛に虐げられてきた。固定観念のなかに押し込められ、色眼鏡で見られていると感じたことがある人間なら誰でも、『あのな、俺はあんたが思っている以上の人間なんだ』って言いたいはずなんだ。僕はそれがこの物語の核だと思っている」。
アメリカ社会における『人種転換(Racial Passing)』の歴史
小説のアイディアは、フィリップ・ロスがシカゴの大学院生だった1950年代半ばに浮かんだ。当時のロスには、軽く交際している女性がいた。「彼女はいわゆる“ニグロ”だった。ある日私は、彼女の実家で明らかに色の薄い黒人と出会った。そして、決して忘れられない言葉を彼女の母親から聞いたのだ、彼女の親戚にもはや黒人ではなくなった人達がいる、と」。つまりその親戚たちは、黒人としての身分を捨て、白人の世界へと移り住むことに成功し、決して戻ってこなかったということである。「私はその話を決して忘れることができなかった。自己変身、自己再生、運命の二者択一性、過去との断絶−、強烈だった。」とロスは語る。
歴史的には、コールマン・シルクと同様の物語はかなりの数のアメリカ人に起こったことである、とロスは指摘する。「1945年以前のアメリカは、深い人種差別を抱えた国だった。コールマンの決断も公民権時代以前になされているが、当時同じような決断をした人間は大勢いたと私は推測している」。
『人種転換』は、アメリカ文学に確固とした題材を提供し続けてきた概念である。早くは1880年代にマーク・トウェインがこのテーマで散文を書いているし、1920年代から30年代半ばには、ニューヨークのハーレム地区を中心に起こった黒人主導の芸術復興活動(ハーレム・ルネッサンス)のなかで、2つの傑作小説が生まれている。ひとつは白人に転換したフィラデルフィアの少女について書かれた、ジェシー・レッドモン・フォーセット著『Plum
Bun : A Novel Without a Moral』(29)、もうひとつは、黒人女性としてはじめてグッゲンハイム賞を受賞したネラ・ラーソン著『Passing』(29)で、早くに両親(白黒混血の父と黒人の母)を亡くした女性が、子供時代の友人に再会するまで裕福な白人女性として暮らし通した軌跡を描いている。
21世紀に入り、多様性が尊重される社会が多少なりとも構築され、『人種転換(Racial Passing)』の事例は減少しつつあるが、より広い意味での『転換(Passing)』の慣習は脈々と続いている。男性から女性へ、ゲイからストレートへ、金持ちから貧乏人へ。それぞれの理由と方法で、狭い世界を抜け出し、危険を逃れ、不可能と思えた人生を生きるために。2003年9月には、ニューヨーク大学でメディア論を教えるブルック・クルーガー教授が、ユダヤ系白人として転換したアフリカ系アメリカ人の男性を含む、多様な転換を果たした7人の現代アメリカ人について詳述した『Passing
: When People Can't Be Who They Are』(03)を上梓している。
いい映画が出来る時がある。めったにはないが、いい映画を作るチャンスに恵まれる時がある。これがそのチャンスだった。 ―トム・ローゼンバーグ
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6月19日(土)より みゆき座ほか全国東宝映画にてロードショー
ギャガ・ヒューマックス共同配給
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