彼らと広大な海で泳いだこと。
それはもう二度とやって来ないかもしれない瞬間。
人生のあらゆる瞬間につなげたいと願う、かけがえのない瞬間。
なにも当たり前と思うことなく...
ブルース・ウェバー
きみに手紙を書こう。混迷するこの世界に希望を見つけながら...
天才ジャズ・トランペット奏者、チェット・ベイカーの実像に迫り、オスカーにもノミネートされた名作『レッツ・ゲット・ロスト』(89)の蠱惑的な美しさは、ジャズ・ファンならずとも今やひとつの伝説となっている。この傑作ドキュメンタリーを監督したブルース・ウェバーは、80年代のファッション・フォトに革命を起こし、写真家として世界的な名声を得る一方、80年代後半から映画制作にも多くの情熱を注いできた。『レッツ・ゲット・ロスト』の編集中にこの世を去ったチェットや、元全米ライト級ボクシング・チャンピオン、アンディ・ミンスカーなど、愛する者にオマージュを捧げながらどこか儚く、翳りゆく陽射しのような美しさをドキュメンタリー映像に収めてきたブルース・ウェバー。しかし、最新作『トゥルーへの手紙』で、彼はこれまでのどの作品とも異なる新たな境地を切り開き、未来に対して希望の光を見出そうとしている。
ブルース・ウェバーは動物をこよなく愛す大の"ドッグ・ラヴァー"としても知られているが、『トゥルーへの手紙』は彼が一緒に暮らしているゴールデン・レトリバーのファミリーの躍動感によって生命の輝きを与えられている作品である。四匹のレトリバーの中で一番末っ子の名前がトゥルー。ウェバーは遠くに旅立つ寂しさを胸に秘めたように、トゥルーに宛てて手紙を書き、それを読むという形式で自分自身や隣人たちのドラマを綴っていく。「ファックスでもメールでもなく」、「昔、父からもらったような手紙」──。
この作品制作の背景には、あの忌まわしい9・11のテロ事件のグランド・ゼロと目と鼻の先に自分のオフィスと住居があり、旅先で自分たちの愛犬の消息を気遣うという恐怖の体験があった。「この事件以来、すべては変わってしまった」とウェバーは言う。しかし、今日という幸せは当たり前のことではなく、一瞬にして失われてしまう儚いものであるということを改めて痛感する。そして映画の中で、人々の絆や、忘れていた懐かしい記憶や、大切なかけがえのない友人たちにもう一度想いを馳せる。無垢な存在である愛犬に宛てた手紙とは、映画を観終わった後、観客の一人一人にブルース・ウェバーから送られた愛と平和の祈りの込められた私信に他ならないことに気づくだろう。『トゥルーへの手紙』は、9・11のテロの出来事が私たちの人生をどのように変えたかを思索し、犬たちへの尽きせぬ愛情や、無条件の忠誠心を世界への希望のメタファーとして綴った珠玉のシネ・エッセイである。
50年代、60年代のスロー・バラードや、ジャズの名曲、約30曲にも及ぶサウンドトラックとシンクロしながら流れるコラージュ的な映像に身を任せ、癒されるような優しさに包まれ、時には戦争の悲惨さに戦慄し、負傷した帰還兵たちを憂うウェバーに共感し、やがて動物に対する愛情が人間の尊厳の感情へと自然に導かれていく一本の抒情詩。
トゥルーを初めとするウェバーの愛犬たち、パロミノ、ビッグ・スカイ、レイン、ポーラ・ベア、猫のタイソン、象のタイといった動物たちが限りなく美しいパラダイスのムードを生み出している。また、犬と人間との友愛をテーマにした、古き良きアメリカの象徴のような「名犬ラッシー」や「名犬リンチンチン」の映画版やTVドラマからの名場面のフッテージが所々にインサートされ、心を和ませる。その一方で、ミッドウェイ海戦での日本の戦艦や夥しい数の戦闘機撃墜の記録、ベトナム戦争で逝った報道写真家ラリー・バローズの想い出、イラク空爆の映像、戦争慰霊祭のパレードなどのイメージをさりげなく混ぜ合わせることで、戦争はまさに平和のすぐ隣に迫っていることを想像力に訴えかける。また、ジョナサン・デミがドキュメンタリーを撮っているマイアミでのハイチ難民の惨憺たる現状を提示したり、ゴスペルのような力強いリズムで魂を揺さぶるマーティン・ルーサー・キング・ジュニアの演説も挿入される。因みに、キング牧師の演説の映画への使用許可が最後まで下りず、この映画に感銘を受けたモハメド・アリや彼の妻、ひいてはクリントン前大統領までが教団への説得に当たったという感動的な製作エピソードが残っている。
ウェバーの広範な交友関係によって登場し、または想い出のなかで語られる多彩な人々。贅沢にも彼の犬にサーフィンの個人授業をしている伝説的サーファー、ハービー・フレッチャー。9・11で叔父を亡くしたという農場の一家。ホームムービーの褪色した映像に残された、プロヴァンスで過ごすダーク・ボガードと彼の恋人(とコーギー犬)。彼の主演作『ダーリング』(65)の甘美なフッテージも挿入され、この作品でアカデミー主演女優賞を受賞したジュリー・クリスティはリルケの詩「オルフォイスへのソネット」の一節を、マリアンヌ・フェイスフルはスティーブン・スペンダーの詩「The
Truly Great」を叙情豊かに朗読する。本作中に使われている劇場映画版『名犬ラッシー/ラッシーの勇気』(46)の子役でもあり、大の愛犬家でもあるエリザベス・テイラーと、彼女の大ファンだったエイズで亡くなったウェバーの友人との逸話も慈愛に満ちて切ない。そして、映画終盤、ジョンとヨーコがウェバーに送ったというハガキのことに触れ、穏やかであると同時に深い祈りに満ちたメッセージを浮かび上がらせている。
「War is over...if you want it.(戦争は終わる...あなたが望むなら)」
ブルース・ウェバーは、様々な異質なものを混ぜ合わせたコラージュ的映像を、美しい郷愁と、心地よいセンチメンタリズムによって純度の高い一つの結晶として纏め上げる。これはよくある"愛犬に関するドキュメンタリー"ではないが、愛犬家にはたまらない喜びを与えてくれることも間違いない。そしてすべての人々にとって、『トゥルーへの手紙』は時に恐ろしい現実を露呈する現代を生きるための、勇気と希望を与えてくれる魂の映画である。
Bruce
Weber ブルース・ウェバー 監督・脚本
1946年3月29日、ペンシルバニア州、グリーンバーグ生まれ。デニソン大学でアートと演劇を専攻した後、ニューヨーク大学に移り、映画制作を学ぶ。ダイアン・アーバスと知り合い、彼女の紹介でリゼット・モデルのコースで写真を学ぶ。1973年に業界誌の「Men's
Wear」でファッション・フォトを撮ったのがデビュー。1980年には、初めてブリティッシュ・ヴォーグに彼のファッション・フォトが掲載された。1982年、カルバン・クラインに下着作りを提案したウェバーの思いつきが、アンダーウェア・ラインとして実現し、写真を依頼される。こうして生まれたカルバン・クラインの一連のキャンペーン広告写真が世界中に衝撃を与えることになる。スポーツで鍛えられたギリシャ彫刻のような素人をモデルに起用したメイル・ヌードの写真は、当時、マイナー・ホワイト、ジョージ・プラット=ラインス、クリフォード・コフィンらの写真家も撮っていたが、商品広告のような表舞台に立つことはこれが初めてだった。
ウェバーの偉大さは、80年代の時代の空気をアンダーウェアの写真を通して具体化したことである。彼の出現でファッション写真は大きく変化し、クライアントやファッション・エディターが写真家のオリジナリティーを認め、より自由裁量を与えるようになった。ウェバーが現在までに手がけた多くの広告(コマーシャル制作の監督も含む)のうち代表的なものには、カルバン・クラインの他、ラルフ・ローレン、ディオール・オム、コム・デ・ギャルソン、アバクロンビー&フィッチ、ボルボなどがある。
1985年、ロンドンのヴィクトリア&アルバート王立美術館で開催されたファッション写真の展覧会 "ショット・オブ・スタイル"展では、写真家デビット・ベイリーに「80年代を代表する写真家」としてピーター・リンドバーク、パオロ・ロベルシなどとともに選出されている。1987年には米国人アーティストによるファインアートを集めたホイットニー美術館の "ビエンナーレ展" にも選出され、ファインアート作家としての地位を確立した。
彼の作品は欧米のギャラリーでオリジナル・プリントとして取り扱われ、世界中の60以上のギャラリーにて開催されてきた彼の展覧会の写真は永久保存コレクションとして、ロンドンのヴィクトリア&アルバート美術館や、パリのフォトグラフィー・ディヴィジョンにて保管されている。また、2005年、アンリ・カルティエ=ブレッソン、アーヴィング・ペン、リチャード・アヴェドン、ヘルムート・ニュートンなどの巨匠が受賞者に名を連ねる栄誉あるライフタイム・アチーブメント賞を受賞した。今日に至るまで、ハリウッド・スターやアーティスト、スポーツ選手、ミュージシャンなど彼の被写体になることを望むセレブリティは後を絶たず、中にはネルソン・マンデラや前大統領ビル・クリントンなどの大物政治家も含まれている。
また、ウェバーは89年に長編ドキュメンタリー"Broken Noses"を完成させ、念願であったフィルムメイカーとしてのデビューを果たした。次の長編『レッツ・ゲット・ロスト』(88)はアカデミー賞最優秀長編ドキュメンタリー賞にノミネート他、数々の賞を受賞している。サウンドトラックはアメリカのチャートで1位となり、チェット・ベイカーコレクションの歴史においてベストセラーとなった。2000年にはレスラー、ピーター・ジョンソンを撮った"Chop
Suey"を製作。自身のライフワークの合間に、クリス・アイザックや、Video of Year賞を受賞したペット・ショップ・ボーイズのミュージック・ビデオ等の監督も手掛けている。
ウェバーは初期の頃から多くの写真にモデルと共にさり気なく犬を配置し、ナチュラルな空気を醸し出すことに成功している。写真集「Gentle Giants」で犬とのライフスタイルを撮影したウェバーが、9・11の世界貿易センタービル爆破テロ以後の恐ろしい世界情勢を背景にして、自分の犬たちへの愛情を追体験するために作られた映画が、最新作『トゥルーへの手紙』である。
Nan Bush ナン・ブッシュ 製作総指揮
ナン・ブッシュは1974年以来、ブルース・ウェバーのマネージメントをし、今まで全てのウェバーの映像作品に対してエクゼクティヴ・プロデューサーとしてクレジットされている。
もともとはフランセスコ・スカヴロのスタジオマネージャー兼エージェントであり、ウェバーと仕事をする前までホルストやウィリアム・コノーズなどの写真家と仕事をしていた。『トゥルーへの手紙』は、公私に渡る長年のパートナーであるナンに捧げられている。
Palomino
True
Sailor
Polar Bear
Big Skye
Hope
Rain
Guy
Cloud
みんな自分の犬の映画をつくりたがるけど、映画制作ってほんとに大変なんだ。
だから、僕の親友である出演者の5匹の犬と1匹の猫に、バラードの天才リトル・ジミー・スコットの言葉を引用してもきっと分かってくれるよね──"理屈ぬきで働け"って。
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